12月31日
今年も暮れようとしていますね。振り返れば、勤めていたタクシー会社が廃業して解雇され、仕方なく映画監督宣言(笑)をしたのが5月のことです。そこから、撮影のペースをあげて8月には素材を何とか揃えることができました。編集を始めて、形が出来上がってきたかな、と思っていたら、11月に95歳の親父が逝ってしまいました。悲しみを乗り越えて作業を進めていたのですが、不思議なことに、悲しいという感情は早々に消えて、なんと身体が軽くなって、慢性的な肩こりが嘘のように消えたのです。親不孝かもしれませんが、ホッとした、というのが正直な気持ちです。100歳の母を送り、95歳の父を看取った僕は、いったい何歳まで生きるのだろうか、と考えていたらちょっと怖くなったりします。100は超えるんだろうな、って漠然と思うのですが、適度にボケて適度に介護を受けて、相応に楽しんでボチボチ生きてればいいかなって考えていると、正直、楽しみでもあるんです。だから、生活そのものを身体を第一に考えたものに変えました。1日2食で「12時間断食」を実践してます。1日20分の歯磨きを欠かしません。お灸とマッサージも受けてます。ストレッチに足芯を取り入れてます。最初はきつい、というよりは面倒だったんです。でも、これを毎日やってると習慣になります。もう4年やってます。人体実験だと思って、けっこう変化を楽しんでます。こんな1年を過ごしてたら、暮れになりました。今年1年、お世話になりました。

12月29日
今年もいよいよ押し詰まってきました。報告が遅くなりましたが、戸塚区民文化センターの上映会は何とか無事に終了しました。100人の希望者がいましたが、十数名の方は、コロナのために辞退されました。こうした状況ですから、やむを得ぬことだと思います。参加者のうち、64人の方々がアンケートに答えてくれましたが、結果からは、みなさん、それなりに意識をお持ちになって参加されたことが読み取れましたし、未完成ながら好意的に受け止めていただきありがとうございました。年明け16日の那覇と22日の熊本の上映会では、完成に近づいたものを上映できるものと思います。この作品の自主上映をお考えの方は、どうぞメールでお問い合わせください。アドレスは、ホームページの冒頭に記しました。今、この作品の上映をどのような形で行うか、腐心しています。自主上映という形で全国を回る計画を立てていますが、少しは話題にならなければ、全国を回っても多くの方々に観てもらうことはできないのではないかと心配しています。みなさん、一人でも多くの人に広めてください。お願いいたします。

12月16日

18日の上映会の入場については、ファックスで希望を受け付けていますが、東京新聞に掲載されて以降、希望者が倍増しました。報道の影響の大きさを実感します。昨日は神奈川新聞で取り上げてくれました。かなり大きく記事にしてくれましたので、ご覧になった方も多かったのではないかと思います。報道されることで話題にはなるでしょうが、大切なことは映画の内容だろうと思います。話題性はあっても中身がなかったら、その話題も消えてしまうことでしょう。ということもあって、まだ一生懸命に編集作業を進めています。少し言い訳っぽいですが、いいモノになる、という思いで毎日力を注いでいます。同時に、完成が近づいてきましたので、完成後の上映の形も意識して、どう広めていくかを考えています。当面の計画として、那覇と熊本で上映会を企画しました。那覇は出演者の皆さんに作品を観ていただきたい、という思いと、沖縄県高教組が後援してくれたこと、準備作業に協力が得られたことで開催が可能になりました。熊本は一緒に映画の制作しているメンバーが上映計画に協力してくれて、報道関係や九条の会、映画館の協力を得る目途が立ったからです。二つの上映会以降も、上映会の開催を追及していきます。特に地方での開催を計画したいと思います。少しずつでも口コミで話題が広がれば、と考えます。昨日、沖縄タイムスから記事掲載紙が送られてきました。突然だったので驚きましたが、映画制作の意図と進捗状況、那覇での上映会のことが記事になっていました。当面、18日の上映会に全力投球です。コロナが猛威を振るってますが、計画通りに上映会を実施します。ファックスで申し込まれた方々は、全員入場いただけますので、戸塚区文化センターにおこし下さい。

12月9日
東京新聞に、映画『2887』の記事が掲載されました。この時代、この社会を記憶にとどめること、これが映画『2887』です、と取材に答えましたが、こうした思いが伝わった記事になりました。映画をご覧になってもらえれば分かるのですが、安倍首相は2013年の所信表明演説で「額に汗して働けば必ず報われる、真っ当な社会を築いていこうではありませんか」と高らかに謳い、多くの拍手を浴びました。はたしてこの社会が「真っ当な社会」、と言えるでしょうか?時代は「真っ当な時代」になったのでしょうか?「真っ当」の反対は、「道理の通らない」「筋が通らない」ですが、僕は「イカサマ」だと思います。「さもそのように見える」「いかにも本物のように見える」「イカサマ師」。そのものずばりではないでしょうか。真っ当とは真逆な社会、時代になってしまいました。映画の中で斎藤貴男さんは、「これで、以前のようなまともな社会に戻るには、20年、あるいは30年かかるかもしれない」と嘆きます。だから、この時代や社会をきちんと記憶しておかなければならないと思うのです。在位が最長となった内閣総理大臣は、20年後、30年後に評価されているのかいないのか?その時にこそ観てほしい、「記憶映画」なのです。写真は、4日の原発神奈川訴訟の控訴審の高裁前での訴えです。原告団長の村田(作品にも出ていただいています)さんの「私たちを忘れないでほしい」という言葉が心に残ります。

12月3日
編集の終盤の作業に追われています。ここらで良しとしよう、という思いもあるのですが、編集を支えてくれている飯田さんは、もう少しもう少しと細かな部分にも手を抜かず、少しでもいい作品に、と取り組んでくれています。この姿を見ていて、これで良しとは言えませんし、これが映画作りなのだろう、と理解しています。出来上がりつつある作品を前に、今考えていることは、一番最初に相談した方に、映画制作そのものが素人には無理だし、これだけのテーマを扱おうとすればどこまで時間がかかるか分からない、と言われたことが、目の前に浮かんできますし、心に染みます。始めは正直、反発もしました。なぜ、この意欲を分かってくれないのか、と。でも、今思うことは、描けば描くほど疑問がわき、問題が深まってとりとめもなくバラバラな映像の繋がりになること、映画制作は素人には無理だということがはっきりと見えました。今更、と思うかもしれませんが、ちょっと離れて見ると、おそらく素人だからここまで来れたのかもしれません。要は、みんなが支えてくれたのです。インタビューに応えてくれた方々はもちろんですが、映像や写真を提供してくれた人、いろんな土地や場所で撮影に協力してくれた人、いつもいつも前を向けと声を掛けてくれた友人、もちろん構成と編集でお世話になっている飯田さんもです。こんなことを考えるのも、もしかしたら疲れているからかもしれませんが、あと一歩、僕も手を抜かずにこの作品と向き合います。昨日と今日、神奈川新聞と東京新聞の取材を受けました。この話はまた後日、書きます。写真は、とても気に入っているタイトルです。

11月22日

沖縄に行って来ました。朝一番で出て、最終で帰るという1泊2日だったので、かなり慌ただしい旅でした。知花さんを訪ね大城先生と山城さんの追加インタビューをして、沖縄県高教組、琉球新報、沖縄タイムス、桜坂劇場をまわって支援の挨拶をしました。結構きつい行程でしたが、沖縄国際大学で大城先生のインタビューの前に『2887』を二人で観ることができて、感想をお聞きすることができたので、ちょっとほっとした時間にもなりました。年明けの1月16日(土)14時から那覇の教育福祉会館で沖縄県高教組の協力を得て、上映会を行います。琉球新報と沖縄タイムスにも協力してもらいます。両新聞社には制作段階からお世話になり、動画と静止画をお借りしたというご縁もあります。沖縄タイムスでは、神奈川新聞の田中記者(沖縄タイムス出身)にもお世話になってます、と話したところ、那覇での記者時代の話をお聞きすることができました。今、神奈川新聞では、前にも増して かなり沖縄の様子が報道されています。注目して読んでみてください。この旅の一番の成果は、デニー知事と話をすることができたことです。ここまで、何度も要請しても断られ、これは知事本人ではなく、沖縄県庁の官僚(?)なのですが、手紙を書いてもつながらず、諦めていました。それが、山城博治さんをインタビューする予定の場所で、デニー知事と偶然にお会いしたのです。これは、那覇高裁で20日に行われた辺野古のサンゴ移植に関する弁論に知事が立ったのですが、この裁判が始まる前のことだったのです。立ち話だったのですが、手紙を書いたこと、映画を作ったこと、観ていただきたいということ、右翼の街宣なんかに負けないでほしいということをほとんど一方的にお話ししました。途中で広報の方に、「具体的な話は県の広報課を通してください」と話を遮られました。この後すぐに県庁に向かい、この映画を作るときに一番初めに声を掛けさせていただいた方が、まだ広報課にいましたので、この方を通じて知事にいくつか具体的に要請しました。忙しい方なので、どこまで応えてくれるかは分かりませんが、言いたいことは言ったつもりなので、良しとします。飛行場で、那覇の友達と二人で食事をして、慌ただしかったけども充実した二日間の話をして別れを惜しみました。この後、2時間半、熟睡しました。

11月18日
14日(土)の初号試写会を無事に実施することができました。市立高教組の「父母と教職員のつどい」として映画『2887』を観ていただいたのですが、みなさん意識を持って観ていただけたのか、多くの方々がアンケートに答えてくれました。おおまかな感想としては、「興味深く鑑賞できた」が73%、「途中、少し興味を失うところがあった」が25%。そして、鑑賞後の率直な感想としては、「友人や知人に勧めたい」が56%、「勧めたいとは思わないが、いい映画だった」が29%、「特に思いはない」が13%でした。大方、好意的に観ていただけたようですが、問題点を指摘してくれた回答もあり、ぜひ今後の参考にさせてもらおうと思います。まずは、無事に終わって良かった、というのが、率直な思いです。翌15日から、追加の撮影と編集を継続しました。深く向き合えば向き合うほど、観れば観るほど、細かな点が気になります。しかし、この作業を省略することはできないので、たとえ時間はかかろうとも丁寧に進めていきます。完成を楽しみにしていただきたいし、私自身も苦労した分、楽しみでもあります。

11月12日
14日(土)の試写会の準備ができました。でも、まだ完成ではないのです。「ここまで出来ました、なのか、ここまでしか出来ませんでした」なのかは分かりませんが、現時点での作品です。編集の飯田基晴さんが粘り強く丁寧に向き合ってくれたので、僕の創造を超える作品になりました。と、言うか、なりつつあります。正直なところ、苦しいことばかりなので「もうこの辺でどうだろう、次に進みましょう」と思うことも少なくありませんでした。でも、この方は妥協しないのです。観ていただく限りは、不快な気持ちにさせてスクリーンに向いている気持ちを切ってはいけない、が身上のようです。僕は、これが自分の思いだからこっちに目を向けてほしい、思いをくみ取ってほしい、という思いだけで作ってきました。今は、これが素人とプロの違いなのかもしれない、と少し思い始めました。最終的に、どのような作品になるかは分かりませんが、二人の思いがこもったいい作品を作ります。苦労は作品で報われる、を信じて進みます。実りの秋は過ぎてしまいましたが・・・・・。

11月10日
14日(土)の初号試写会に向けて、編集に追われています。正直、苦しいです。助けていただいている編集者にはかなり迷惑をかけています。それは、僕が素人だからというのが最大の理由です。しかし、映画を作ることにプロも素人もないのではないか、と編集者は考え、僕が一定の水準に到達するまで時間をかけて待っててくれて、そこからすべてが始まるから大変なのです。だから、見方を変えれば、いい作品にならないはずがないし、そうなるものと信じて前を向いています。昨日、ナレーションをつけました。お願いした方には、所沢から関内に来ていただき作業をしました。安倍首相の2,887日を追った映画ですから、かなり政治性の強いものなのですが、それも了解していただいてナレーションをつけてもらいました。ナレーションの入った映像を見ましたが、深みが増したことが見て取れました。苦労はありますが、一日一日と作品に仕上がっていくのを目にすると、少しホッとします。今日より明日、明日よりも明後日、と思うと少し力も湧きます。そして、写真のこどもたちに残せるものを作りたい。

10月29日
しばらくブログの更新が止まってしまいました。ちょっとしたトラブルでホームページの編集画面にアクセスできなかったのです。それでも元気にスタジオに通って編集作業に取り組んでいました。三つのテーマについて、一通りの編集は終わったのですが、繋ぎをスムーズにして、必要な静止画と図表等を取り込み、ナレーションを入れるための構成表(シナリオ)の見直しを進めているところです。二つは、再構成しなければならないかもしれません。辛いところです。挿入する写真をお借りするために甲府まで足を運びました。金丸信吾さんと話し込んでしまって予定をずいぶんとオーバーして少しご迷惑をかけてしまいました。それでも、いいお話が聞けたし貴重な写真を手にすることが出来たので、何とか映画に生かせればと思います。編集と併せて、映画の試写会の計画を立てています。12月に横浜と東京で試写会をやります。1月には沖縄、熊本、京都、福井、山口で開催できるように話を進めています。もう11月ですので、早々に横浜と東京での試写会の概要を発表しようと思います。14日の初号試写会が終わったら、1月以降の試写会の概要を発表します。基本は自主上映で進めて行きます。クラウドファンディングへの協力をお願いしますが、すべて無料で上映します。名もない素人が作った映画ですから、最初から上映してくれるようなところがあろうはずもないので、地道に活動していきます。素人の映画作りも実験ですが、上映運動も実験です。当然資金集めも・・・・・。端から見ればすべてが無謀に見えることでしょうが、どこまで出来るかも実験です。「おっさん魂」だけでどこまで進めるか。不安だらけですが、ほんの少しだけ楽しみでもあります。

10月19日
編集作業が週2日から3日になりました。初号試写に向けて追い込みです。普段、午前中は編集するテーマについて、二人で構成上の疑問点の洗い出しを行い、取り込む映像の確認作業について構成表(シナリオ)を見ながら意見交換をします。ここでは、けっこう議論になることもあります。今日はテーマ「アベノミクス」について編集をしました。安倍首相がアベノミクスで目標としたこととインタビューに応えてくれた浜矩子先生の「アホノミクス」の真意、テーマ「アベノミクス」で僕らが伝えたいことについて議論して編集にとりかかりました。今日、一番の問題は、とかく単調になりがちなインタビュー中心の構成を、いかに映像上にリズム感を出して目を引き付けるものにするか、ということでした。図表を挿入します。ナレーションも使うことにしました。普通、結論は話の最後になるものですが、このテーマでは安倍首相の所信表明演説の後に、結論を語ってもらう構成表をつくり編集しようか、などと考えています。ナレーションはあの女優さんにお願いしよう、などと勝手に考えています。あくまでも勝手に、です。ここでは映像もですが「声」にも重きをおきます。編集作業中にジャスラックから連絡をいただき、リクエストしていた5曲の許可が取れたことを確認しました。5曲、全部を使ったら歌謡映画になりそうなので、それはないだろう、などと考えながら編集を進めています。僕が好きなあの人の曲は使います。あまり期待されても、と思うのですが、いい意味で期待を裏切りたい、とも考えている今日この頃です。

10月12日
少々へたばってますが、元気にやってます。今の僕の生活リズムは、一週間のうちで月曜日と金曜日にスタジオに通って編集作業をやり、火曜日と水曜日は親父の様子見と保育園のお迎えをこなしています。火曜日と水曜日の空いた時間と土曜日、日曜日は編集作業の準備に追われています。追加の撮影や挿入する映像のための資料を取り寄せるのです。それに、手紙を書いて個人的な支援を呼びかけたりしてます。木曜日は東京に出かけて、これまでお世話になったいろんな組織を訪問して映画の支援をお願いしています。みんなよくやってるね、とは言ってくれますが、なかなか支援をしましょう、とは応えてくれません。せめて、前向きに検討します、くらいは言ってほしいですよね。振り向いてもらえるようないい作品に仕上げて、話題くらいにはならなければだめなんでしょか。ここは、頑張りますとしか言えないのが苦しいところです。でも、自信はあります。それは、僕の力とか才能ではなく、一緒に編集している専門家が、ご自分の作品を作るのだ、というほどに力を入れてくれているのが分かるからです。それに、映画制作の中で、編集という作業がどれほど大変で大切な作業かが分かったということもあります。映画は編集次第、と言ってもいいかもしれません。だから、作業をしていてぶつかることも多々あります。大体は私の無知が原因なのですが。それでも、真剣さが伝わってくるので、後れを取らないようにできる準備と頭の中の整理だけは怠らずに、と思っています。高教組の担当者は、11月14日に上映会ができるのだろうか、と心配しているようですが、杞憂に終わるよう全力で取り組みます。

9月 30日
9月30日になりました。9月も今日で終わりです。この一か月は編集に明け暮れた一か月でした。関内の小さな編集スタジオで編集者の方と二人で編集作業をしています。現場で作業をするのは、一週間のうちで三日ほどです。あとは、自宅で映像用のパソコンと文字お越し用のパソコンとをにらめっこをしながら作業をしています。映像の中で新聞の紙面を使うので、新聞社との連絡も多くなりました。もう1本、映像を借用したいのですが、あまりにも高価なので少し躊躇しています。作業のない日には、支援の輪を広げるために、僕とつながりのある組織を訪ねて、支援を呼びかけています。組織のニュースに取り上げてもらうことと、上映会の企画を、とお願いしています。明日からの10月も、編集作業中心の一か月になることでしょう。できれば、楽しみながらやりたいのですが、まだまだそんな余裕はありません。

9月 25日
前にブログを書いたのが、11日だったのですね。何をそんなに忙しくしていたのか、といえば、ただただ編集作業に追われていました。5時間のフィルムを6分割したものを、それぞれ文字お越しして、不要な部分をカットする編集作業をするのです。そして、構成シナリオを描き、また編集を進めるという繰り返しでした。初めての体験なので、これがけっこう肩が凝るのです。一応、5時間分の文字お越しが今日、終わりました。映像を見ながらパソコンを打つ、という作業は慣れるまで目が疲れました。明日、いやもう今日ですね、多分、2時間半くらいに編集できた映像を連続して見ることができると思います。苦労した分、楽しみでもあります。お彼岸だったので、お墓の掃除をしました。そして、母と義父のお墓参りに行きました。お寺で正信偈も上げました。この日は、皆さんが集まるのは久しぶりだったので、和尚の法話にも力が入ってました。一緒に編集をやっている方の「あしがらさん」という作品を見ました。編集の合間に、この作品のことも含めて映画談義をしています。これから、細部にわたって編集作業が続きますが、どんな作業が待っているのか全く想像がつきません。先が読めないから、ここまでの作業について来れてる、という面があると思います。先が見えていたら、多分、へたっていたかもしれません。知らないからできることもあるんですね。左の写真は、我が家のそばの市民の森にある田んぼです。来週、稲刈りだそうです。映画の撮影が佳境に入ったのは田植えの最中でした。それがもう、稲刈りの時期なのですね。

9月 11日
今週は三日間、スタジオで編集作業をやりました。5時間のラッシュフィルムを6分割(序章・アベノミクス、福島原発、改憲、拉致問題、辺野古新基地建設、終章)し、最終の編集作業を始めました。最後の終章から始めましたが、編集とは映像のカット作業だとばかり思っていました。しかし、大きな勘違いをしていました。編集とはカットすることではなく取り上げる、あるいは取り入れる作業だったのです。そんなこと常識だよって言われるかもしれませんが、今やっと気づいたところです。これに気が付くと、不思議なことにこれから自分が取り組もうとしている作業が、鮮明に見えてくるのです。捨てよう、捨てよう、としていては絶対に見えないのです。ここまでは、あれやこれやと安倍政権を記録することばかりに気持ちが行ってました。ここにきてそれよりも大事なことがある、ということが見えてきました。この大事なことを最後の最後に映像で問いかけます。時間にしたら、わずか5分にも満たないかもしれません。もしかしたら、この5分のために2時間半の映像を組み立てていこうとしているのかもしれませんが、この作業こそが編集なのだと思えるようになりました。帰りの電車の中で、編集作業って授業に似てる、とつくづく思いました。最後の数分のために1時間の授業を組み立てるのです。今だったら、あの時以上にいい授業ができる・・・・・、などと勝手なことを考える恥ずかしげもない自分がいました。この映画で僕が言いたいこととは、・・・・・。ぜひ、本編をご覧ください。左の写真は、「美ら海」大浦湾(現在は立ち入り禁止)の海底(サンゴ礁)の映像です。この映像(12分)が沖縄タイムスから送られてきました。この貴重(大浦湾の海底映像はこれだけなのです)な2014年7月の映像もこの『2887』で見ることができます。12分、全部をお見せしたいのですが・・・・・乞うご期待です。

9月  5日
この映画の制作で全面的にお世話になっている早稲田大学の教授に、横浜の映像制作集団(スタジオ)を紹介してもらいました。この教授とは35年の付き合いですし、そもそも僕らの映画制作に賛成してくれたお二人のうちの一人(十人中です)ですから、この映像集団も全面的に信頼しようと思っています。最初に早稲田の構内でお話をした時、「おもしろい企画だと思う。今だからこそやる価値がある。楽ではないが『情熱』を失わなければ、必ずゴールには辿りつく」と言われました。撮影の技術やインタビューの要領、編集の基本も学びました。右も左も分からない素人に対して、懇切丁寧に指導してくれました。僕が逆の立場だったらと思うと恥ずかしい限りです。だから、この映画作りで学んだことは絶対に忘れない、そして少しでも多くの人に伝えたい、との思いを強くしています。この映画の制作を通じては、多くの人との出会いがありました。半面、少し距離を置くようになった人もいます。そうですよね、素人が無謀な映画制作をやろうというのですから。関わりたくない、と思っても何の不思議もありません。これから本編集でお世話になる映像集団の代表と4時間ほどお話をしました。映像制作に対する姿勢のことから、編集という作業の意味、そもそも何を見る人にとどけたいのか、を時間をかけて話し合いました。もちろん製作費(技術料)のことも。そして、大筋で合意しました。帰りの車の中で、素人だからここまで来れたのかもしれない、映画制作ということがある程度見えていら・・・・。怖くて涙が出そうになりました。ここまでのことを思い浮かべるにつけ、インタビューを快く引き受けていただいた方々に兎に角感謝感謝の気持ちでいっぱいです。いよいよ本編集が始まります。しかし、これからもまだまだ勉強です。

9月 3日
国会前で、静かな集会「アベ政治を許さない」に参加した。今日は澤地久枝さんの90歳の誕生日だった。その澤地さんは自宅で転倒し、コロナの問題もあって集会への参加をしばらく控えていたが、久々に今日は車いすで参加された。お元気な姿を拝見し、お元気な声を聞いた。コロナ禍だが大勢の参加者があった。落合恵子さんや松元ヒロさんの顔もあった。ヒロさんは、麻生副総理の物まね(新作)を披露した。集会の中で、澤地さんは安倍首相は退陣したけれども、安倍首相を継承する政治が続く限り「アベ政治を許さない」の精神は不変、と宣言した。大方の予測は、菅官房長官の総理就任だが、アベ政治を継承、発展させると宣言しているのだから、何をかいわんやである。新聞紙上などでは、アベ政治を検証する記事が出てきたが、総じて「ヌルイ評価」というのが本当のところだろうと思う。きちんと数字からアベ政治を振り返れば、その愚策と失政は明らかなのだが、はっきりとアベノミクスを失敗だと断じた新聞にはまだお目にかかっていない。だから、まだまだこの集会がお役御免となる日は遠いようだ。映画のチラシ(左の写真)が届いた。まず、クラウドファンディングを知ってもらい、協力を求めるために来週から、精力的に配布を始める。そして、このチラシの配布がホームページの宣伝になれば、なおありがたい。チラシの配布にご協力いただける方は、ぜひご連絡を。

8月 31日
あっという間の8月だった。何をしたわけでもないのに時の経過は早かった。毎日毎日パソコンに向かって編集を進め、映画に挿入するフィルムを借用するためにさまざまなメディアに電話しメールを送った。こんな日々だったが、おかげで考えていた映像はほとんど確保することができた。自分たちが見たい映像を集め、聞きたい人の声を拾うというそもそもの目的の9割は達成できたと思う。では、叶わなかった1割は何か?ご多聞にもれずコロナの影響を受けたということだろうか。もう一度沖縄に行って映像を撮ろう、と思っていたが叶わなかった。集会やデモに参加し映像をと考えていたが、これも空振りに終わった。追加のインタビューも考えていたが、この状況下では厳しかった。それでも何とか最終の編集の段階まで来れたことには満足している。同時に映画のチラシもつくった。こちらは今週末に1万枚が届く。まだ映画が完成したわけでもないのに、上映会が決まったわけでもないのに、チラシ1万枚には驚くかもしれないが、クラウドファンディングの宣伝も兼て配布しようと思う。左がチラシの表面。センスは感じられないが、どのような映画かは、分かってもらえると思う。自分たちの意識としては、とにかくすべてが実験なのだ。素人の年金生活者が映画を作ることも。映画のチラシを作ることも。ホームページを立ち上げることも。クラウドファンディングで資金を集めることも。この映画を通じて、人はどこまで繋がることができるのか、ということも。実験だから失敗もあると思う。失敗してもその失敗からも学ぶ姿勢だけは持ち続けたい。

8月 29日
昨日の会見を、今日も報道番組で見ました。なかなか上手くできてましたね、「花道会見」としては。病気のことや今後のこと、誰が後継に相応しいかなんて、そんなこと一番に国民が知りたいことなんでしょうか。出席は各社一人、一社一問だそうです。官邸と記者クラブはつるんでいるのか、と穿った見方をしたのは私だけでしょうか?、先進国で、自由と民主主義を標榜する国で、こんな会見をやってる国は日本だけでしょう。お隣の韓国がこんな馴れ合いの会見をやってるのを見たことはありません。中国では・・・・・・?中小企業の社長さんがここで聞きたかったことは、なぜ大企業との格差が広がったのか、中小零細企業は大企業のおこぼれさえ受けられなかった。アベノミクスは失敗だったのではないのか、ということでしょう。福島からの避難者は、福島原発では汚染水処理の問題も含めてまだ相変わらず厳しい状況が続いているのになぜ、「福島はアンダーコントロール」と言ったのか、これを聞きたかったはずです。65%もの国民が、安倍政権での改憲に反対しているのに、なぜここまで改憲にこだわり、民意を無視して「改憲」「改憲」と騒ぎ立てたのか?沖縄の民主主義と安倍首相が考える民主主義は違うのか?拉致家族の方々は、「『断腸の思い』であるとか、『痛恨の極み』という言葉はもう聞き飽きた。この政権で必ず解決すると言って8年間、事態が1ミリたりとも動かった事実をどう考えるのか」と聞きたかったはずです。国民は何を聞きたいのか、と考えるのではなく、首相が何を話したいかを忖度して質問するくらいなら、記者など辞めた方がいいと思うのですが・・・・・・。

8月 28日
ラッシュフィルムの完成に向けて、この10日間は家に籠って作業を続けました。撮影した映像に資料映像を加えるために、追加の撮影を自室でやりました。カメラ2台とパソコン2台、資料のコピーや新聞記事で狭い部屋が増々狭くなって足の踏み場もありません。編集の過程で安倍首相の8年間の映像を見てきましたが、今の安倍首相は本当に調子が悪い、というのが見て取れます。良くも悪くも自信満々で説明責任などどこ吹く風のこれまでとは明らかに違います。右の写真は、絶好調の時代の一枚です。辺野古県民投票の後のぶら下がりの会見で、「沖縄の民意は分かる。普天間飛行場の危険を除去するために、辺野古の新基地はこれからも計画通りに進める」と相変わらず心の通わない言葉で国民を煙にまくんですね。今は、第一次安倍政権で国政を放り出した時に似ています。その安倍首相が今日、辞意を表明し、また国政を放り出しました。多くの人たちから、安倍首相が辞めたら映画はどうなるのか、と聞かれました。安倍首相が辞めようが続けようが、この映画に影響を与えることはありません。そもそも、この映画は2019年11月20日までの安倍首相の2,887日を辿った映画なのです。おそらく10年先か20年先に、在位が最長となったことで名宰相として教科書に名前を残すことになるでしょう。はたして、そうなのでしょうか。間違っていても間違いを認めず、だれも責任もとらず、居直って声の大きい人間が幅をきかせるというこの危うい社会の中で、ヤルヤルと言いつつ何もやらなかった首相を認めるわけにはいきません。だから、同様に声を上げ続ける人々の声を拾って作品を作りました。インタビューに応えてくれた方々は、心からの声をぶつけてくれました。今、その声を二度三度と聞きながら、その声を力にして作業を続けています。

8月 23日
主演の安倍晋三さんの編集が一段落しました。一昨日も書きましたが、主演の演技と言葉で画面が締まります(笑)。第二次安倍政権の誕生から今年の通常国会の所信表明演説まで、丹念に言葉を検証し、安倍首相の姿勢というか施政の原点が、2013年1月28日の所信表明演説にある、ということを確認しました。ですから、この映画ではここが出発点になりますし、中心でもあるのです。編集の過程では、「言葉」の軽さが気になって仕方ありませんでした。大言壮語で国民を引き付け、姿勢とはかけ離れた美辞麗句を並べても少しも恥じることのない姿には、唖然とさせられるばかりです。昨年の臨時国会の初日には、金子みすゞの『私と小鳥と鈴と』から引用して「みんなちがって、みんないい」と語りました。そして、「新しい時代の日本に求められるのは、多様性であります」と結びます。この言葉を聞いて、あざとさとかうさん臭さを感じたのは私だけではないでしょう。ここまで「言葉」を壊すのか、と語ったのは澤地久枝さんです。斎藤貴男さんは、一国のリーダーでありながらこの人は言葉の意味をまったく解していない、と嘆きます。詳しくは本編をご覧ください。不思議なことに、ここまで言葉を蔑ろにしても、「言葉」を生業にしている著名な作家の方々が一つにまとまって厳しく批判したのを聞いたことはほとんどありません。連続首相在位が佐藤栄作首相を抜くようですが、私には「史上最長最悪政権」としか思えません。

8月 21日
毎日、編集作業でパソコンと格闘しています。構想に従って序章から終章まで、5つのテーマ(アベノミクス、福島原発、改憲、拉致問題、辺野古新基地建設)を挟み込んで、ラッシュフィルムを完成させました。時間にして4時間。これに、まだ手元に届いていないニュースフィルムや空撮等の実写映像を取り込むと、5時間近くになるでしょうか。このニュースフィルムの編集がけっこう厄介なのです。2019年11月8日の参議院予算委員会で、共産党の田村議員が「桜を見る会」の問題で厳しく安倍首相を追及しました。これが「桜を見る会」の追及の始まりなのですが、田村議員のどの言葉も重みがあって切れないのです。しかし、切らなければ間延びして映画は成立しません。やっと7分まで縮めたところです。この先、ブエノスアイレスでの安倍首相のオリンピックプレゼンテーション、改憲派の集会に寄せたビデオメッセージ、昨年の沖縄慰霊の日の挨拶、拉致問題の解決をめざした全国集会での挨拶、そして2013年1月の安倍首相の所信表明演説と主演の安倍首相の出番が続きます。映像で確認しましたが、どの映像の安倍首相も実にいい顔をしていて、映像に引き込まれるんです。「・・・・みなさん、強い日本を共に創っていこうではありませんか」と呼びかけられたら、思わずうなずいて納得させられてしまいます(笑)。ここで感心していてどうするの、という話なのですが、それくらいに嘘を感じさせないすばらしい演技です。実はこのアベ首相の映像が、インタビューに応えてくれた人たちの話を引き立ててくれるのです。いいコラボが完成するように、辛くて酷な編集という作業をしばらくは楽しんでみます。では、本編で確認してください。

8月 19日
多分、この国の経済は瀕死の重傷なんだろう。GDPの速報値が出たが、内需も外需も総崩れでリーマンショック直後を大きく上回り戦後最悪のマイナス成長に落ち込んだ。今こそが、浜矩子先生が言う「緊急事態時にこそ『成長』を意識し『成長戦略』を考えなければならない」時なのではないのか?しかし、・・・・・・。安倍政権のおよそ8年間は、「成長、成長」の掛け声のもとに、ありとあらゆる手段を講じて経済を取り繕ってきた。見せかけの高い有効求人倍率、見せかけの株高誘導、見せかけの好景気。コロナが、みんな張りぼてだったことを見せてくれた。「この経済危機は『コロナ』が原因」とうそぶく評論家もいるが、GDPは、昨年の10月からすでに3期連続のマイナス成長に陥っていたではないか。リーマンショックの回復には4年かかった。このコロナはいつ収束するかわからないし、もう「大量消費社会」を望むことはできないのかもしれない。だとすれば、まさに戦時クラスの緊急事態なのではないか。左の写真は、羽田空港で欠航を伝えるインフォメーションボードだが、全体が真っ赤っか。世の中は、ここまで危機的な状況なのだ。政治は、今こそ「成長」のための方策を講じなければならないのだが、もう打つ手はない。金融も財政も。こんなことは素人でも分かる。平時に緊急時のような政策を打ったのが浜先生が言う「アホノミクス」なのだ。日本をガタガタにしたのが「ドアホノミクス」なのだ。そして、この現実を明らかにしたのが「コロナ」なのだ。しかし、諦めるのはまだ早い。一つ、すぐにできる方策がある。アベノミクスの8年でさんざん資産を貯めこんだ大企業の400兆円に及ぶ内部留保を吐き出させればいいのだ。これで日本社会は一息つける。そして、・・・・・・。この先は本編を見てほしい。では、なぜこれほどの緊急事態でも株高が続くのか?これもすっきりする答えが本編にある。乞うご期待である。

8月 17日
昨日の続きを書く。父は今、近所の老人ホームに入っている。「大ジイジは戦争に行ったのか」と聞いた小学生の子とは、よくホームの父親のもとを訪ねて行く。この小学生の下の妹二人と一緒に行ったこともある。ホームに行くと、初老の僕や女房が行っても大して変わり映えはしないが、小さな子供が3人も行くと、お昼の前後などは子供たちを囲み、老人たちの顔に笑顔があふれとても賑やかになる。不思議だが、小さな子供には老人を元気にするエネルギーがあるのだろう。その父は海軍に行き、空母「大鳳」に機関員として乗船していた。その「大鳳」は1944年のマリアナ沖海戦で、米潜水艦から一発の魚雷を受けて、漏れた燃料がもとで大爆発を起こして沈没したという。父はその時に膝を爆風で負傷して海に投げ出され、一昼夜海をさ迷った後、何とか救助され病院船に収容されて土浦の海軍病院で終戦を迎えたのだという。大ジイジが戦争で死んでしまったら、大ジイジにつながる人間は、今は誰もいないんだよ、と話してやった。分かったのやら分からなかったのやら、ただただ不思議そうな顔をしていた。左の写真は、ダイヤモンドプリンセスから見た東シナ海の夕日(2018年3月16日)。父もこんな夕日を見たのだろうか。母は満州のチチハルで終戦を迎えた。シベリヤに抑留こそされなかったもののそれなりに苦労をしたらしい。「らしい」というのは、満州時代の話をしっかり聞くことはなかった。また、母も語りたがらなかった。だから、聞けなかった。父からも聞けない。いや、聞かない。お互いに苦しくなりそうだから。戦争なんて、そんなものだ。だから、戦争につながるものは、すべて忌避するし反対する。今年は、二日がかりでこんなことを考えた「終戦の日」になった。

8月 16日
昨日は75回目の終戦の日を迎えた。毎日毎日淡々と続く無意識の日常の中で、この8月15日という日を意識しないことはなかった。早朝から閉門まで靖国神社で1日を過ごしたこともあった。平和をテーマにした映画を2本、3本と見たこともあった。意識して本を読んだし、集会にも足を運んだ。返還直前の香港、まだまだ距離が遠かった韓国で、日本とはまったく違う8月15日を迎えたこともあった。そうそう、中国にもいたことも思い出す。そしてそこで考えた。昨日は、ひたすらパソコンに向かって格闘していた。ここ1週間は、失敗を繰り返し、失敗から学びながら編集作業を続けている。だから、一歩も家からは出ていない。いわゆる引きこもり状態名なのだが、好きなことをやっているのだからこれはこれでけっこう楽しんでるのかもしれない。本人は、まったく苦痛など感じていない。2,3日前、小学校2年生の男の子が将棋を指しにやってきた。この日は2局指した。5歳で将棋を覚え、ひとの顔を見ると、決まって将棋をやろう、と必ず言うからけっこう好きなのだろう。実力はまだまだで力の差はあるが、近い将来、歯が立たなくなる日が来るであろうことは覚悟している。この子が将棋を指しながら、「大ジイジは戦争に行ったのか?」と突然言い出した。戦争のテレビを見て、戦争の話を父親から聞いたらしい。「行った。そして右足の膝に爆風を受けて負傷したが、どうにか助かって今、95歳になる」と少し詳しく話してやった。不思議そうな顔をして、「ジイジは行ったのか?」と聞く。「行かない」と応えた。また不思議そうな顔をして、「なぜ?」と聞く。写真は、二人で箱根登山鉄道に乗った時のもの。この日は、帰宅が夕方遅くになってしまい、まったく連絡をしなかったこともあって、この子の母親に「息子を誘拐するのか」とこっぴどく叱られた。話が長くなるので、続きはまた明日書く。

8月 10日
元同僚から一冊の本が送られてきた。タイトルは「旅行ガイドにないアジアを歩く・横浜」(梨の木舎、来月早々に書店に並ぶ)。すぐに目を通したが、これが素晴らしく労作なのである。歴史から経済、産業からファッション、観光等々が枠を超えて幅広く描かれ、日本の中の「横浜」を飛び超え、アジアの中の「横浜」を意識させられる。と、書くとちょっとヨイショのし過ぎ、だなんて言われるかもしれないが、少しもそんなことはない。彼は、これまでにアジアを歩いて自身でも毎夏スタディーツアーを企画し、市内もくまなく歩いて戦争遺跡や産業遺産を掘り起こし、幅広く資料を当たり、地域の声を拾って研究を重ねてきた。集会や学習会に積極的に関わってきたことも知っている。そうした、これまでの取り組みの集大成が、この労作に集約されたのだろうと想像する。600枚を超える写真(少し小さいのだが)が掲載されているが、自身による撮影だというから驚く。だからと言って、けっして専門書ではない。興味や関心のあるところから読み進めてみるのもいい。知らなかった「横浜」が見えてくるし、歩いてみようか、ということになる。どこから読んでも興味がわく。小学校からここまで横浜で過ごし、教員時代には地理の同僚と「横浜」に関する書物も著した経験があるが、それでもまだまだ知らないことはあるものだ、と再発見させられた。もう20年も前のことになるが、彼とは何度か一緒に沖縄を歩いた。知花さんの店(スーパー)を訪ねたこともあった。特にあてのない旅だった。だから気分は「書を捨てよ、街に出よう」だった。この本の書き出しには、「書を抱き、旅に出よう!」と書かれている。コロナの時代の今だからこそ、横浜散歩には最適な一冊なのかもしれない。あえて「書を捨てよ・・・・」ではなく。

8月  8日
もう一度、沖縄を訪れて撮影したい場所と撮影したいモノがある。朝一で行って最終で帰って来るという日帰りも考えたが、今の沖縄の状況では「無理」と判断した。人口10万人当たりの感染者数が20人に届こうか、というのだから、まさに緊急事態だ。知り合いの店も休業に入った。感染のことも経済的なことも心配でならない。ここまで沖縄の状況が酷くなったのは、本土からの旅行者が原因なのか、基地からの感染が理由なのかは分からない。はっきりしていることは、撮影で訪れた6月末の沖縄は感染者ゼロが続いていたということ。ここはしっかり検証してほしい。いや、今後のためにも検証しなければならない。今は、せめて沖縄や離島を対象に「GoToを止(と)めろ!」だ。デニー知事も苦悩の表情を浮かべて「沖縄に来ることには慎重に!」と呼びかけた。年間一千万人に届こうかという観光客のこと、経済のことを考えると沖縄の今の気持ちは痛いほど分かる。それに比べてこの国のリーダーは、である。この期に及んでも、「直ちに緊急事態宣言を出すような状況ではない」と言うだけで、あとは何も語らない。マスコミはもっとこの国のリーダーのことをきちんと評価して、「大本営発表」ばかりしてないで、正すべきところはきちんと正すべきだろう。この映画『2887』を作る過程で考えたことは、自分たちは何が見たいのか、どんな声が聞きたいのか、を忘れないということ。このことはマスコミだって同じだろうと思う。僕らがこれを忘れて走り続けたら、この映画『2887』の制作根拠を失う、ということだけは自覚している。左の写真がもう一度沖縄に足を運んで、きちんと映像に収めておきたいと思ったモノ。おそらく本邦初公開だろう。これが何かは本編で・・・・。

8月  7日
四日前にインタビューした元山仁士郎さんのテープ起こしをしました。インタビューはすでに終わったのでは、と思われるかもしれませんが、実はこの方のインタビューが残っていたのです。そうなのです。なかなか連絡が取れなかったのです。少し諦めの気持ちも・・・・。いやいややっと思いが叶い、国立まで足を運び大学前でインタビューしてきました。宜野湾市に実家があるとのことで、世界一危険な基地、と言われる普天間飛行場の現状をお聞きし、「辺野古」県民投票の会代表として取り組んだ県民投票後の沖縄を語ってもらいました。全国レベルの選挙でも、もちろん県民投票でも、県知事選でも、県議会選でも、沖縄の民意は普天間飛行場の即時返還、辺野古新基地建設反対です。それでも安倍首相は、いつでもどこでも「沖縄の基地負担の軽減を目指し、沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら『できることは全て行う』との姿勢で全力を尽くす」と言います。心地よい言葉を使ってその場を取り繕うのは天下一品。沖縄の民意を理解しているとは思えないし、気持ちに寄り添っていたら県民投票の結果を無視して工事を強行することなどできないだろう、と元山さんは憤ります。沖縄の「No」が本土にはなぜ伝わらないのか?。本土と沖縄は明らかに「分断」されていますが、この「分断」を解決するカギが「辺野古」県民投票にある、と言います。県民投票を進める過程で、県内の「分断」が明らかになったそうです。立場の違いが「分断」を生み、人間関係さえもぎくしゃくする。ここを乗り越えることができたのが・・・・だといいます。本土と沖縄の「分断」を乗り越えるのも・・・・。ここから先は本編をご覧ください。お会いしてお話を伺った元山さんは、国会の前でマイクを握ってラップでアピールしていたあの頃の元山さん、そのものでした。

8月  5日
梅雨が明けて強烈な日差しを感じると、何故か心が・・・・する。これは、45年も前から続いていることで、この年齢になっても変わることはないから不思議だ。学生の頃には夏休みには何をしようか、などと特に考えたことはなかったが、卒業してからは一年のうちで一番楽しみな時期になった。今はもうそんな時代ではないのだろうから語るのも憚られるが、「夏休みがあったから教師になった」というのが本音だし、夏休みがなければ教師にはならなかった。しかし、今年の夏は少し違う。「コロナ」と「映画」を引きずる夏になった。こんなにも感染者が拡大しているというのに、相変わらず政府は国民のために動こうなどとは考えないようだ。各都道府県単位ですでに宣言が出されているというのに、である。最近の首相を見ていると、「無気力」としか思えないのだが、やる気がなければ早々に退場すべきではないのか。もうすぐお盆になる。帰省してもいいのか、いけないのか。政府の感染症対策分科会の座長は、「高齢者等への感染につながらないように対策を講じて行動してほしい。対策が難しいと判断される場合には帰省は慎重にしてほしい」と語った。こんなこと言われる前から誰しもが考えてることだろう。この人は寝ぼけ半分なのだろうか。要は自己選択、自己決定、自己責任ってことなんだろうが、これでは政府など必要ない。いつまでも増やさないPCR検査。これではいつまでたっても感染者は増え続けることだろうし、不安は増すばかり。コロナの「弱毒化」が進んでる、とか言われ始めたが、ただ暑い夏だからコロナが一休みしているだけなのかもしれない。そんなことはまだ分からない。だから、検査して隔離して、ひたすらワクチン開発を待つしかない。コロナが静かにしてくれているうちに、「映画」の編集を進める。夏の強い日差しがあるうちに、何とか完成させたい。「コロナ」と「映画」を引きずる夏、本番となった。家の近くの道路には、サルスベリの真っ赤な美しい花が咲き誇っている。

8月 1日
今日、久々にお寺に上がった。コロナで4月から和尚の法話が中止になって以来だから、4か月ぶりになる。いつもならお寺に上がってきた皆さんと一緒に「正信偈」をあげるのだが、今日は和尚と二人の「正信偈」となった。「正信偈」とは、浄土真宗のお経(?)のこと。あることをきっかけに、お寺に上がるようになってから16年になる。初めは、旅立った人間を供養するというよりは、「忘れたい」との思いばかりで「正信偈」を読んでいた。だが、「忘れよう」とすればするほど「忘れられない」のである。そうしているうちに、また一人友人が旅立ってしまった。担任をした生徒が旅立ったのもこの頃だった。初めての体験で、何とも言えず身体の重い日々が続いた。仲の良かった同僚が旅立ち、続いて再び生徒が旅立った。「いいやつばかりが先に行く、どうでもいいのが残される・・・・」といういい歌があった。真実である。生きていれば、いつかは別れがある。分かっているのだが、お寺に上がるといつもいつも「忘れたい、忘れたい」と思うばかりだった。こんな思いが吹っ切れたのは、和尚の法話でのひと言だった。これをきっかけに、「忘れたい」から「忘れない」に心が変わった。どんなひと言だったかを語ると長くなるから省略するが、今は先に逝った友人、知人、教え子を「忘れない」ために、いや「思いを新たにする」ためにお寺に上がって「正信偈」をあげている。だから先に逝った友も、今も僕の心の中ではしっかり生きている。8月はお盆の月。訪ねてくる人が気持ちよくお墓詣りできるように掃除をして迎える準備をする。今日お寺に上がったのは、和尚から浄土真宗本願寺派が作った映画「沖縄戦」(左の写真)の話を聞くためだったし、この話を書こうと思っていた。また、機会を改めて書くことにする。

7月31日
今日で7月も終わる。振り返ってみるとすぐに思い浮かぶのは「コロナ」。コロナ、コロナ、コロナ、毎日コロナ。明日も、多分コロナ。こんな日常でいいはずはない。だから市民はみんな自己防衛して何とか生活を回している。外に出るな、県をまたぐな、って言われなくてもほとんどのまともな人間は分かってるし、きちんとコロナに向き合っている。どうしてもそうした理屈が分からない、知ってても勝手な行動をとる人間が2割はいるものだ。街の居酒屋だって、どう見たって無防備な店は2割はある。こうした2割をどうするか?行政が懇切丁寧に教えてやるか指導するしかないのではないか。そもそも、まともな人間はこんな店には行かない。左の写真は自粛が続いた頃の静まり返った横浜の「野毛」である。街が寂しすぎる。また、この頃に帰るのか。感染者が、増え続けているのだ。こんな状況になってきても、安く行けるから「GoToキャンペーン」で地方に行ってみよう、とか最善の対策をして人とも接触しないで温泉に入るぞ、などと考え行動する人間が2割いても不思議ではない。でもここで問題なのは、行政の動きだと思う。「状況を考えて自粛しろ」というのはいい。「三密を避けろ」も有りだと思う。でもそんな一般論は、もういいのではないか?言うな、というのではない。他にやらなければならないこと、言わなければならないことがあるだろうということ。常々、モノには順番がある、と思っている。国が今、一番にやるべきことが「GoToキャンペーン」なのか、と問いたい。「ヤルヤル」と言っていながら少しも進まないPCR検査。まずここをきちんとして感染者をおさえて隔離しなければ、いつまでたってもダラダラと市中感染は増え続けるだろう。それから、医療機関や医療従事者からしっかり話を聞いて先々を読んで、ここにこそ必要な資金をしっかり投入すべきだ。そして、今後に備える。検査費用が高価なことにも驚くが、もっとここにもお金を使うべきだろう。こんなこと素人目にだって分かることだ。でも、専門家の先生方や議員の先生方はどうやら分っていないようだ。ここはやっぱり、安倍首相の出番なのではないか?せめて国会を開いて先頭に立って、・・・・。

7月29日
編集作業の前段として、撮影した動画のバックアップをとった。現時点での撮影時間は約34時間。よくもまぁこれほど、と思うが、それぞれの動画を見ると、まず直感するのはかなり無駄と思える撮影をしたな、ということ。そもそもここが素人丸出しということなのだろうが・・・・。以前のようにフィルム撮影だとしたら、かなりの経費を費やしていただろうから、映画制作など素人には無理な話だった。その分今は、素人でも撮影はできる。カメラの性能もいいから、画像は鮮明だし音もすばらしい。SDカードが記憶媒体だから必要のないカットはすぐに消去できる。だからと言って鑑賞に堪える映像が撮れるのかということは、また別問題なのだろうが。同時に、僕らが見たいと思う映像の収集も始めた。辺野古の工事が始まる前の「美ら海」の映像。実はこれが本当に「美しい」。工事が始まったキャンプ・シュワブ周辺の現在の空撮映像。これを目にすると悲しくなる。そして、最も危険といわれる普天間飛行場(左の写真、オスプレイも配備されている)。本土の人間には信じられない光景だし胸も痛む。さらに福島第一原発の空撮映像。事故で爆発した1号機から3号機、それに敷地内に溢れる汚染水タンク群を目にするとこれがあのF1か?と絶句する。あれもこれもと考えるとキリがない。制作費としては、ここに一番お金がかかる。そうそう「価値あるものにはお金を払う」。これを忘れてはいけない、と自分に言い聞かせながらパソコンに向かっている。

7月25日
「GoToキャンペーン」が実施されているさなか、横浜線に乗って桜木町まで行きました。連休中とはいえ首都圏ではコロナの感染者が激増しているだけに、静かなのかなと思いきやけっこう人出があるんですね。まぁ、僕もその一人ですが・・・・。高校の教職員組合の女性部の集会に誘っていただき、「映画制作から見えて来たもの」と題してお話をさせていただきました。人との繋がりの大切さや一歩踏み出してこそ見えるものがあること、なぜ今、映画『2887』なのか?についてインタビューの話などを交えて宣伝させていただきました。ありがとうございました。ただ、僕らの基本的な考え方を語るには至らなかったことが少し残念でした。僕らの中には、弱者の側、差別される側、被害者の側に立った映画を創りたい、という思いがあります。だから「これだけ謝ってもまだ謝るのかよ」とか、「もういいだろう補償は」とかの加害の論理は通用しない、と考えます。加害や差別を意識する、とはそういうことだとの立場です。この映画の5つのテーマにもこの一貫した姿勢で向き合っているつもりです。やはり、こうした思いを語りたかったな、と少し反省します。それでも、話す機会をくださった高教組の女性部には感謝、感謝です。左の写真は、世界一危険な普天間飛行場です。昨日、この動画を借用することが決まりました。動画を見てもらえればいかに危険かが分かります。今ここでは、コロナの感染者が問題になっています。沖縄の軍関係者は2万5千人に上り、その三分の一が基地外に居住者しているそうです。陽性者の実態や隔離の状況などは、まったく沖縄県には知らされていません。このように今、沖縄は大きな問題を抱えていますが、事は沖縄に限ったことではないのです。厚木だって、横須賀だって・・・・。

7月22日
「新型コロナ」はとても厄介な代物です。日常生活は破壊され心まで蝕まれて、みんなこれに苦しめられてます。私個人の話をすれば、まず職場を解雇されました。生活が一変してしまいました。親が入居する老人ホームは外部との接触が絶たれ、まったく触れ合うことが出来ません。ガラス窓を境にして顔を見てスマホを使って会話するのです。週に二回通っていたマッサージ(女房です)が出来なくなって、父は足が浮腫(むく)んで就寝後は頻尿に苦しんでます。何とかならないのか、なんとかしてほしい、と思っているのはみんな同じなのでしょうが・・・・。でも、こんな時に「GoToキャンペーン」かよ、って言いたくもなりますよね。こんな「コロナ」ですが、ちょっと立ち止まってみると、いろんなことを炙り出してくれます。アベ首相はやっぱり口だけ達者で実行力は?でした。だから、「悪夢の民主党政権」なんかではなくて、「悪魔のアベ政権」です。IT先進国を目指す、などと威勢のいいことを言ってましたが、気付けば先頭から二周遅れの現実が露になりました。公立の小・中・高でのオンライン授業など夢物語です。でも、大人は無理して東京のオフィスに通勤しなくても、けっこう在宅で仕事も出来るものですね。それに、米軍基地のコレラ陽性者です。日本の米軍基地は、日本にあってもアメリカです。本国との間の行き来は自由。アメリカの爆発的な感染の状況を考えれば納得させられます。まだまだ出てきますよ、きっと。しかも日本の法律は及びません。やりたい放題、要するに治外法権、ってやつですよね。まだ、日米和親条約が続いていたんですか。びっくりです。さらに都教委です。校歌斉唱は取りやめても、「君が代」はきちんと斉唱しろ!すごいですね、発想が。まだまだあります。でも、キリがないからここまでにします。「コロナ」も悪さをするだけではないんですね。それにしても、左の写真の国会は閉じたまま。いいんですかね、これで。父の状況は心配ですが、女房の母親も一緒に入居しているから少し救われます。私自身は、今の状況を受け止めて前に進むしかない、と思っています。皆さんの力を借りてこの『2887』をいい作品に仕上げます。

7月19日
「キャッチコピー」は難しい。チラシ作りをしていてつくづくそう思う。短い言葉で人の目を引く、という作業は、出来そうでなかなか出来ない。「キャッチコピー」作りの専門家は、おそらく普段から「短い言葉で表現する」という作業を日常のものとしているのだろう。プロに敵うはずはない。この映画『2887』のチラシの頭には、考えた末に「名が残る名宰相か、『ヤルヤル詐欺』か」と書いた。考えすぎとか、捻りすぎとか、形ばかり気にしすぎとか、いいのこれでって言われるかも知れないが、これがいっぱいいっぱい。タイトル作りにも苦労した。『2887』が最初からあったわけではない。一番最初は『詐欺師』だった。これはまったく不評で、「そんなズバリのタイトルを付けてどうする?」と言われた。それでも、「ヤルヤル詐欺」という言葉を使ったところを考えるに、心のどこかには「詐欺」の二文字がまだ燻っているのだろう。タイトルの『2887』に関してはほとんどの人があまり関心を示さなかった。「なんだろう?」って不思議な顔をするくらいで、説明すると「あー、そうなんだ」で会話は途切れる。ただお一人だけ、「センスを感じる」と言ってくれた。この方には、映画の企画段階から相談させていただいた。テレビ関係の仕事をされていた方なだけに、大いに助けられた。蓮池透さんも紹介していただいた。映画の話もしたが、僕の出身地(大分県佐賀関町)の隣町(坂ノ市)の出身だから、故郷大分の話の方が盛り上がった。実は、チラシの最後には「名が残る名宰相か、『ヤルヤル詐欺』か」に続くもうひと言が書き込まれている。どんな言葉を書き込んだか、出来たチラシを楽しみにご覧あれ。右の写真は、柏崎海岸の夕景である。この美しすぎる静けさが好きだ。

7月17日
クラウドファンディングを立ち上げた。まだ撮影を始めたばかりのころに、ある金融機関系の企業からクラウドファンディングに参加しないかと誘いを受けた。条件は、ホームページを立ち上げてその管理と検索上位にかかるような手段を講じ資金の管理もする、というとても申し分ないものだったのだが、丁重にお断りした。話を聞けば、いま芸術関係でクラウドファンディングをやってる企画の多さに驚く。世の中、クラウドファンディング流行りと言ってもいいのかもしれない。それでもお断りしたのは、経費という名の手数料を取られることに納得できなかったからなのだが、それよりも「不特定多数」から資金を集める、という方法論に疑問を持ったからでもある。「価値あるものにお金を払うのは当たり前」と前にも書いたが、どうもここには対価に見合う価値が見出せなかった。だから自分でホームページとクラウドファンディングを立ち上げた。まず、ホームページの評価を聞いてみたい。完成した以上、評価を聞いてどうする、ということかもしれないが、みなさんの感想はやはり気になる。クラウドファンディングにも協力してもらいたいが、こちらは映画『2887』を知ってもらってから、ということになるのだろうから、映画のチラシを見てもらってからでもかまわない。もちろん、ホームページを見て協力を申し出てもらえればこれほど嬉しいことはない。今日、チラシの原案を作った。友人の元同僚の意見を聞きながら作ったが、自分ではなかなかいいものができたのではないか、と思っている(笑)。ホームページにも使ったが、左の写真をチラシにも使うことにした。蓮池薫さん夫妻が拉致された柏崎の海岸である。画像の右手(写真の外)には佐渡が見えるし、さらに右を見れば東電の原発(拉致当時にはなかった)を目にすることが出来る。夕日がとてもきれいな海岸で、その夕日が沈んだ後に、「ちょっと火を貸してくれませんか」との囁きが拉致した北朝鮮工作員の最初の一言だった、と言う。この柏崎の美しい海岸をメインにこれから熊本の友人の力を借りてチラシを完成させる。いつもいつも、友人、知人に助けられている。だから「人はどこまで繋がれるのか」を意識する。このホームページが、思いもよらない広がりをみせてくれたら、と思うとまた明日がんばろう、という力が湧いてくる。

7月12日
映画『2887』の最終のシナリオを確定させた。細部はこれからつめて最終版を書くが、その前に取り入れる映像の検討を行った。自分たちが見たいと思う映像、ぜひ見てもらいたい映像を精選した。最初に検討したのは「F1」。福島第一原子力発電所だ。事故を起こしたこの発電所の今を見たい。誰もが思うことだろうが、この映像を手に入れることはなかなか困難なのである。当事者の東電は「機密事項なのでご希望の映像はお貸しできません」という。ふざけるな、である。事故を起こしてさんざん迷惑をかけて、「お貸しできない」はないだろう。事故で吹き飛ばされた1号機から3号機までとかろうじてメルトダウンを免れた4号機の今を見たいと思うのは国民誰しもの思いだし、東電にはこれに応える義務があるはずだ。諦めるわけにはいかない、などと悶々とした気持ちを落ち着けて、次の手段を模索した。「F1」では、溜まり続ける汚染水のタンク群も空撮で見てみたい。トリチウムを含む大量の汚染水は今、海への放出が取り沙汰されているが、本当にタンク増設の余地はないのか。このことはもっと問題にされていいのではないかと思うが、なぜかマスコミはあまり話題にはしない。併せて、動き出した中間貯蔵施設も見たい映像だ。国道6号線を走っても、帰還困難区域に指定されているために施設内に立ち入ることは出来ない。山手線内の4分の1の広さに匹敵するという広大な中間貯蔵施設という名の放射性廃棄物の最終処分場(?)。政府はあくまでも中間貯蔵施設、と言い張るが、では最終処分場はどうするのか?もういい加減に嘘とまやかしと詭弁を弄するのはやめたほうがいい。「F1」をとり囲むように広がるここも空撮映像で見たいと思う。左の写真は大野駅前の小さな商店街。駅前広場と道路だけが帰還困難区域が解除となったが、周辺は除染すら進んでいない。

7月9日
ちょっとしたミスでホームページが開けなくなった。全くの初歩的な思い込みが原因、と言っていい。解決には、またパソコン教室のお世話になった。解決すれば、「ああ、そんなことなのか」と思うのだが、これが素人にはけっこう大変なのだ。しかし、こうして失敗を重ねて学習するしかないのだろう。「便利なツールの不便」といったらパソコンで仕事をしている人たちには笑われてしまうだろうか。多分だが、これほどにまでパソコンを必要としなければ、おじさんにとってパソコンはネットとメール、という理解で終わっていたと思う。ZOOMに挑戦し、動画の編集と静止画の取り込み、ホームページを作ってブログを更新する。すべては映画『2887』のために、である。必要に迫られれば何でもやる。裏を返せば、必要に迫られなければやらない。こんな生き方をしてきたのか、と少し呆れる。もっと積極的な人生もあったかもしれない。でも、これはこれでいい。そう、居直っている、のである。松元ヒロさんのインタビューのテープお越しをした。動画から静止画も切り取った(左が静止画)。思い起こせば、ヒロさんと初めてお会いして言葉を交わしたのは昨年の10月だった。それから打ち合わせを続けてメールでやり取りしながら、実際に撮影したのはコロナ禍の先月中旬だった。下北沢の小さな劇場を借り切って、憲法前文の朗読とインタビューの撮影をした。ヒロさんの憲法前文の朗読は絶品だ。勝手な思い込みかもしれないが、ヒロさんに肩を並べるとしたら吉永さんしかいないだろう。僕ら三人と劇場の支配人だけで、ヒロさんの芸を楽しんだ。なんとも贅沢な。前文の朗読を、ぜひ本編で。

7月4日
一昨日の伊藤弁護士に続いて、計画では最後のインタビューを行った。原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)幹事の村田弘さん。南相馬市の小高区から避難して9年。「帰りたい」けど「帰れない」と言うのが本音だという。今年の初めに、NPO法人「野馬土」の三浦さんの案内で小高区を歩きお話を聞いた。除染が進められて避難指示が解除されたが、周辺地域はまだまだ放射線量が高いのが現状だという。実際に、まったく除染が手付かずの山からダムに流れ込んだ水を水田や畑に使い、近くの木戸ダムではここの水が水道水として利用されているのだという。「こんな現状ではとても帰れないでしょう」。これが村田さんの主張である。帰還困難区域からの避難者、帰還困難区域が解除された地域からの避難者、避難指定区域外からの避難者と未だ多くの福島からの避難者がいる。「帰りたいけど帰れない」「帰りたいけど帰らない」「もう帰らない」。様々な思いがある。いったいどれくらいの避難者がいるのだろうか。確実な数字は分からないという。一応、一般には4万人ほどと言われているが、村田さんは6,7万人以上はいるのではないか、と語る。オリンピックのために常磐線を全通させ、オリンピックのために聖火が通るところだけを取り繕って復興をアピールする。しかし、生活の基盤整備はまったく整っていないのである。病院もなければスーパーもない、学校は出来ても生徒がいない。こんな状況を目にしたら、「9年も経ったのだから」と住宅支援の打ち切りを許したり、ましてや帰還を勧める気にはなれない。本編では帰還困難区域、高放射線量地域の今を見て考えてほしい。

7月  2日
映画『2887』のテーマ「憲法改正」で伊藤真弁護士にインタビューをした。質問の狙いは「アベ改憲(自民党憲法草案)」の危うさ。伊藤弁護士は、2012年の自民党改憲草案について、国民が守るべき価値を定めて国家権力に守らせるという立憲主義の観点から考えると、まったく真逆だという。自民党の政治家が自分たちの作りたい国家を作るための「国民を支配する道具としての憲法」だと語る。その上で、この草案の実現が困難と見るや、2017年にはいわゆる4項目に特化し2020年施行(今年)を目指した新たな改正案を提起した。12年草案の「国防軍」を消して憲法へ自衛隊を明記するというもの。こんなことで、本当に憲法改正を実現しよう、というのか。「アベ改憲」の危うさは、そもそも立憲主義の否定から始まっている、と繰り返し強調する。憲法と日米安保、日米地位協定は違憲か、憲法と象徴天皇制、皇室典範の問題点、違憲立法審査権は機能しているのか等々の素朴な疑問を伊藤弁護士にぶつけた。そして、アベ政権の2,887日ついては、展望もなく説明責任も果たさず、失政にはただ心地よい言葉を並べて欺き続けただけで何も結果を残さなかった政権、と断じた。こんな安倍首相に伊藤弁護士は、・・・・という漢字一字を充てた。答えは本編で。

7月 1日
午前中、パソコン教室に通った。 ZOOMを始めるために、ホームページを創るために、細部の仕上げを専門家の知識に頼った。ほとんどは友人の助言でたちあがったものの、作業をしていればどうしても疑問は湧く。無料の遠くの友人よりも有料の近くの専門家に頼ろうというわけけだ。「価値あるものにはお金を払う」。当たり前のことかもしれないが、こんな当たり前なことがやっと分かった。言い換えれば、「ただほど高いものはない」。しみじみ実感。「パソコンは便利なツールだが、不必要な機能が多すぎる」。これはホームページを立ち上げ、ZOOMに取り組んでの結論。不必要な機能は使わなければいいだけなのだろうが、いらないものは捨てる、くらいの覚悟がないと、あれもこれもで頭でっかちになるだけだろう。情報は得るものではなく捨てるもの、今の情報化社会の中では大切なことだと思うがどうだろうか?

6月29日
今日は朝からハローワークへ行きました。2週間前に行って、二度目になります。一応、今回の名目は職探しです。タクシーの運転手を解雇されたからなのです。今、「新型コロナ」という激しい不況の波がタクシー業界を襲っています。とても大きな波なのです。神奈川で最も小さなわが社はひとたまりもありませんでした。会社は休業、運転手は解雇。この選択に間違いはなかったと思います。解雇前には型通りですが交渉も行いました。左の写真は、帰りの道すがら新横浜で目にした窓ガラス拭きです。ゆらりゆらりと揺れるゴンドラを操って窓を拭く光景をいつまでもいつまでも眺めていました。帰りの電車の中では、「これも人生、仕方ないな」と呟きました。それでも、十日市場の駅に着くころには、これで「映画監督」になれた、などと考えるどこまでも前向きな自分を笑ってしまいました。

6月27日
沖縄でお世話になった方々にメールし、手紙も書いた。購入したDVDに目を通し、気になった映像をチェックした。「日常をなげうって」「沖縄で何が起こっているのか」「いのちの海」「辺野古新基地建設の問題点」、どれも沖縄の今を映し出していたが、中でも「いのちの海」が良かった。美しかった新基地建設工事が始まる前の辺野古が描かれていた。反対派のリアルな声を聞くこともできた。まさに自分たちが見たいと思う映像と聞きたい人々の声があった。「美ら海」の映像と新基地建設のドローン映像、昨年の慰霊の日の安倍首相の挨拶の映像、必要だった映像の手配が着いた。少し前へ進んだように思う。最後のインタビューが7月2日に決まった。伊藤塾の伊藤真先生。質問事項を準備してメールで送った。なぜ、憲法は必要なのか?これが分かっていれば、改憲派も護憲派も議論が噛み合わないことなどないはずなのだが?先生が語る立憲主義の視点もお聞きしたい。すでにインタビューした松元ヒロさんとジャン・ユンカーマンの話を受けて、伊藤先生に質問をぶつけてみようとも思う。楽しみでもある。

6月26日
沖縄での日程を終えて最終便で帰ってきた。24日は何我舎(ぬーがやー)に泊まった。知花さんと泡盛を酌み交わして語った。まず、なぜ「和尚」になったのかをお聞きした。もちろん、日の丸を燃やした事件当時の心境もお尋ねした。正義感があったからではない、との断言から話が始まった。当時は高校生の間にも、「日の丸」の掲揚に反対する取り組みが広がるなかで、大人たちは高校生の思いに応えられているのか、という疑問があった。だから、僕がやらなくても誰かがやるだろうとも思っていた。だったら、自分がやるしかないだろう、という気持ちだけであの行動になったと語る。世間の人たちはこの事件から、知花昌一さんを「日の丸を燃やした男」と呼ぶが、この話には前段がある。知花さんは誰にもまして「日の丸」を愛してやまなかった、という事実はほとんど語られてこなかった。今でも大切に持っている「日の丸」の小旗と大きな「日章旗」を見せていただいた。それほどの知花さんが、なぜ「日の丸」を燃やしたのか。答えは本編で・・・・。午後は、読谷村から宜野湾の佐喜眞美術館に移動し、沖縄戦の図を撮影させていただき沖縄国際大学の大城尚子先生をインタビューした。大城先生は、沖縄には本土とは違う文化が根付いている。これは広い意味での生存権に関わる問題で、一時期本土への同化が叫ばれたが、今はその独自の文化を守って生活しようという意識の高まりがある。しかし、その生存権が脅かされようとしているのが沖縄問題だという。では、沖縄問題の解決のカギは?これも本編で・・・・。25日は那覇に泊まった。那覇には「エメラルド」といういい店がある。

6月22日
明日からの沖縄行きの準備に追われた。インタビューするお二人との最終の確認とホテルの手配、レンタカーの予約等々。県をまたいだ移動が可能になったことで、飛行機もホテルもレンタカーも動き出した感を十分に感じる。少し怖い気もするが、沖縄の人たちの方がきっと戸惑いは大きいはずだ。東京からは来てほしくはない。しかし、経済のことを考えると、そうも言ってられない。実に悩ましい。本心だろうと思う。だから、できるだけ静かに動こうと思う。昨日、『ふたつの故郷を生きる』という映画のDVDを送ってもらった。監督は中川あゆみさん。福島からの避難者の苦悩と訴えを描いた作品で、『2887』の参考にしたいと思っていた。この映像は実に温かい。首都圏への非難を強いられて苦労ばかりで大変だろうに、この家族にはなぜか笑顔が似合う。この家族と中川監督の「信頼」が温もりを生むのだろう。こんな映画を創りたい。ここのところドキュメンタリーばかり選んで観ているような気がする。特にETV特集やBSスペシャルは毎日チェックしている。少し前の話になるが、歴史経済学者(?)のファーガソンの話は良かった。

6月20日

経済学者の浜矩子さんのインタビューを行いました。ZOOMを使ったオンライン撮影です。浜先生から「ZOOMを使ってやりましょう」という問いかけを受けた時には、正直なところ少し戸惑いました。リモートを使ったテレビ映像やオンラインでの授業風景は目にしていても、いざ自分の撮影に、という流れになろうなどとは思ってもいませんでした。必要に迫られて10日ほど実証実験を繰り返しました。おじさんたちが、ああでもないこうでもないと言いながら、何とかモノにできたのが昨日のことでした。これはこれで、結構楽しかったのですが・・・・。今日の浜先生の撮影は成功だったと思います。事前に何度かメールでやり取りさせていただいた、ということが理由の一つだろうと思います。でも、それ以上に、先生が難しい話題を易しく語ってくれたことと、端的な指摘で話が複雑にならなかったことが良かったのではないでしょうか。「経済や経済政策で『成長』を目指す時代は終わったのです」。ここから話が始まりました。では、経済政策は何をめざすのか?答えは・・・・です。「アベノミクスは目指す方向がまったく逆だから、私はアホノミクスと言い、最近ではドアホノミクスと言うんです」。続きは本編をご覧になって下さい。

6月19日
今日からプロ野球が始まるらしい。「新型コロナ」は大丈夫だろうか?心配にはなるが、やっぱり野球が始まるのは楽しみでもある。
今年も春のキャンプの時期に沖縄に行ったが、今年は名護の安和桟橋と辺野古(キャンプシュワブ)、普天間飛行場の撮影が主だったのでキャンプ地を訪ねることはなかった。まぁ、「新型コロナ」で中断、なんてことがないようにと願わずにはいられない。24日の宿泊が何我舎に決まった。知花昌一さんが一人なら大丈夫、と連絡をくれた。24日にゆっくり語らった後、25日の午前中にインタビューをさせていただく。知花さんとお話をするのは二度目だが、インタビューとは別に「国体のソフトボール会場の日の丸を降ろして燃やした事件」のこと、坂手洋二さんが作った「海の沸点」(知花さんがモデル)のこと、「像の檻」の反戦地主だったこと等についてゆっくりお聞きしたいと思う。

6月17日
23日から26日までの日程で沖縄行きが決まった。23日の沖縄は「慰霊の日」。この日に沖縄を歩くのは10年ぶり。宿泊はいつもの「クッション」(辺野古)。24日はキャンプ・シュワブ前の基地建設反対運動と「沖縄ドローンプロジェクト」を取材する。 「沖縄ドローンプロジェクト」では辺野古をドローンで撮影した映像を見せてもらう。25日は沖縄国際大学の大城尚子先生にインタビューをお願いした。場所は普天間基地に隣接する佐喜眞美術館を考えているが、まだ決定ではない。いい方向に話が進むといいのだが・・・・・。 25日の宿泊は読谷村の何我舎を考えていたが改修中だとか、さてどこにしようか?

6月15日
先週から取り組み始めたZOOMに今日も挑戦した。最初は起動するのにも苦労したが、回を重ねるごとに取り扱いがスムーズになってきた。一昨日は三人でのZOOM会議に挑戦したが、今日は仲間が4人に増えた。いいおじさんが四分割の画面を前に喋る姿は、不思議と言うか、おかしくもあるが、たしかに便利なツールでもある。今度は目的をもって会議をやってみよう。

6月13日

梅雨入りしたせいか、とても鬱陶しい日が続いている。映画の撮影は、インタビューを三人残しているが、晴れた日に撮影しなければならないシーンはすべて撮了した。今はこうしてホームページの制作に追われている。しかし、なんと未完成(写真と動画が間に合いません)なホームページなことか。